Sunday, August 26, 2012

日本人、何で?!ー 乾杯編2 「注ぐ?注がれる?わからん!」

序言

 乾杯編1「先に飲んじゃったの」を書いてみてからいろんなコメントをもらった。その中でやっぱり「そうなんだ!」「気づかなかった!」というコメントが多かった。それはいいことだと思う^^今まで当たり前のようにやってきたから気づかなかっただけのことであって、これから意識してもらえたらいいね。

 友達の一人が乾杯編1を読んでから、バイト先の居酒屋で働いているときにお客さんを見てみたら、やっぱり「まだ飲んでない状態で一緒に飲む」ということにこだわっていることがわかって面白かったという。それを言ってもらえたことにはとてもうれしい^^これからは日本も「国際的」「グローバル」などの言葉が強くなる時代なんで、もちろん自国の文化を捨てろというわけじゃなくて、「自国文化は当たり前じゃない」と覚えておくといいかもしれないね。

 文化は良いか悪いかという答えがない。理解できるか理解できないかの違いだけだと思う。旅行が好きな人も少なくないだろう。旅行に行くときに一々「この国のこの文化が嫌い」「もうちょっと合わせてくれないか」と思ったら疲れない?逆に旅行に行くとき、「ああ!この国はこういうことをするんだ!面白い!」「なるほど、日本人はこうしないよね」といろいろ発見できたら世界が美しく見えるよw 旅も人生までも楽しくなると思う。

 さて、もう一つめんどくさい乾杯編エピソッドに行こう!

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乾杯編2 「注ぐ?注がれる?わからん!」

 日本人はこういうときなんてめんどくさい。私はいつも「日本人、何で?!」と思うんだ。

 社会人の知り合い、先輩、友達の家族、先生などと飲んだときのこと。

 「ああ、大丈夫です。私は自分で注ぎます!」とビールを注いでくれようとする Aさん(社会人の方)に私はそう言った。

 Aさんの動きは一瞬で止まって、私の隣に座っていたBさんが言った。
 
 「シェン君、こういうときは注いでもらって」

 へえ?!何で?私が自分で注いじゃだめなの?わかった。大人しく「お願いします」って言った。

 あれ?何でまだ注いでくれないの?グラスはテーブルの上に見え見えじゃない?まさかグラス見えていないとか?

 「シェン君、グラスを手に持って、注いでくれる人へグラスを傾けなきゃ」と隣のBさんがまた注意してくれた。

 えっ?うそ!お酒注ぐならさっさと注いでくれればいいじゃん。何でこんなにめんどくさいんだよ。マレーシアではお酒を注がれるとき、自由にどんな形で受けてもいいのに、テーブルの上に置いたまま注がれることも多い。注ぐ人が立っていたり距離が遠かったり注ぐのが難しいときだけグラスを手に持ってお酒を受けるのだ。わかった。やればいいでしょう?手に持つわ。

 じゃ何で私はこういうときに自分で手酌をしちゃだめなの?

 「Aさんは目上の人なので、Aさんが先に注いでくれるときは受ける。その後目下の人から注いでも失礼にならないよ」

 ああああああ、何でこんなにめんどくさい?マレーシアでは、目上か目下か関係なく、好きなように注ぎ合っている。普通の飲み会だったら、飲みたい人、飲める人が大体注ぐ役になる。なんか私の気づきなんだけど、マレーシア人が他人にお酒を注ぐときは、大体自分が飲みたい時に。自分のグラスが空いたとか、自分がお酒注ぎたいと思ったら、始めて周りにお酒を注いでほしい人を探す。逆に、日本人は相手のグラスが空いたのに気づいてから注ぐ行動をとる。

 「シェン君、グラス空いたよー」Bさんが私に日本のマナーを教えようと、Aさんのグラスが空いたことを教えてくれた。

 「あああ!!Aさん、どうぞ」と私がピッチャをつかんでお酒を注ごうとした。

 「ただの食事じゃないなーこりゃ。」と私はそのとき思った。全然ひまがなかった。話しながら、周りのグラスの空き状態に気を配らなきゃいけなかった。しかも、誰が注ぐか、誰が注がれるかも目上・目下の関係で決まりがあるみたい。難しいなー何で楽に飲めないの?マレーシアだったら皆話しながらグラスの空き状態に気をつけなくてもいいし、好きに注ぎ合っているし。

 日本では、グラスの空き状態に気づく力が鈍い私みたいな外国人は、下手をしたら「KY」「気が利かない人だ」と思われる恐れがある。マレーシアだったら、相手が自分の空いたグラスに注ごうとしたらまたそのとき、「注いであげるよ」と申し出て注いであげても「気の利かないやつだなー」と思われないし。とても楽だ。

 一つおもしろいこと思い出した。母のいとこの娘の結婚式の宴会のときだった。そこでその娘の兄弟(20代)、つまり私のいとこたちがテーブルを回ってお酒を注ぎまくっていた。目上・目下関係なく彼らは70歳のおじさんにも、18歳の若者にもお酒を注ぎまくっていた。こういうのは日本であり得るのかな?と思ったw笑 目上・目下じゃなくて、結婚する人の身内の人がお酒を注いでいるということね。

シェンの考え:

 日本がお酒の注ぎ方に決まりが多いその背後にある価値観としては、「長幼の序」と「他人への配慮」が考えられるね。

 「長幼の序」というのは儒教の思想で、年長者の年少者との間にある秩序というのを守らなければならないということ。こういった思想は日本社会に昔から根付いてるとわかる。例えば、学校の授業でよく見られるのが、先生が何を言っても「正しい」と認めるしかない雰囲気。先生に反論しちゃだめとか、そういうシーンは大体「長幼の序」が関係しているのではないかと思う。もちろん、先生に反論しない面においては、日本人の「出るくいは打たれる」という美学にも関係していると思うんだね。これはまた今後話そうw
 
 ちょっとびっくりしたのが、この「長幼の序」がお酒注ぎまで浸透しているってこと。この「アジアの美」と言われる「長幼の序」という思想をここまで守ってきた日本人はやっぱりすごいなと思う。他にもたくさんのエピソッドがあるので、今度書くねw

 「他人への配慮」という部分は私個人的に一番のお気に入り!^^日本では本当に何でも他人のことを優先する。これは世界中を見ても、ここまで「他人への配慮」を極めた国は多分日本だけだと思う。電車の中で他人へ迷惑かけないように新聞を何回も折り畳んで見ている日本人、バスの中携帯を話しちゃだめ、仕事終わったのに残業している同僚を思いやってわざわざ会社に残るという話、これら全部他人への配慮の例。もっともっとあるんだけど。まさか飲み会まで他人への配慮が重視されているとは、すごいなー。
 
 しかし、こういう他人への配慮が多すぎて、『他人へ配慮すること=当たり前のこと」という社会になっている気がする。そうなったら、人は人を判断してしまう。「こいつKYだなー」「こいつ社会人じゃないな」などなど社会マナーがわかるかわからないかが、人を判断する基準になっている。もはや仕事のパフォーマンス、能力だけじゃ足りない。あなたはどれだけ「他人への配慮」できるかはもう一つ大きなテストになっている。これは多分「日本で働くのがいやだ」と思う外国人たちの主な理由の一つだと思う。私たちにとってそれらは「当たり前」じゃないから、「配慮する」じゃなくて、「何で私はマスクを付けて知らない決まりなどに盲従しなきゃいけないの?」と思うわけ。
 
 でも、やっぱり「他人への配慮」はとても美しいと思う。日本からいろんな配慮を学んで、マレーシアに帰るたびに、「シェンGentlemanになったな」といつも言われる。これは人間関係をうまくする一つ大きなポイントだと思う。こういう意味では、私は日本に感謝している^^配慮しすぎるに伴うめんどくささがいやだけどねw 笑

 ということで、みなさんもよかったら、お酒の注ぎ方だけじゃなくて、その背後の意味を意識しながら、やってみてくださいね。そうしたらとても楽しく注げると思うw それを知らない外国人の私たちにももっともっと教えて^^

 よろしく!

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