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Saturday, August 25, 2012

東京へ旅ー「先友」のSんに恋愛宣言

あっという間にまた一年半経った。
久しぶりに佐々木さんに会うことになった。

Sさん、俺のブログによく出ている人物。
4年前に来日したときにいろいろ面倒を見て下さった寮長さんのこと。

 長いと思うと、短かった4年間だったな。
 初めて会ったときの俺は、日本語がたどたどしかった。Sさんとの会話もそのときから受験勉強、日本語語彙勉強が多かった覚えがある。
一年後帰国して、戻ってくると思わなかったのに、また二年後日本に戻ってきちゃった。

 一年半社会人を経験した大学一年生の俺は、物心がつき始めた赤ちゃんのように、日本語の理解力が高まり、社会経験を堂々と後輩に語れるようになった。去年春会ったとき、Sさんに「君とはこれから友達の関係だよ」と言われた。いきなり先生と学生という関係から友達にという特別扱いされるんだ、俺ってすごいなと、うれしくて少し調子に乗った気分でいたかもしれない。俺はSさんの友達だ、友達だ、友達だ。

 今回で三回目になるんだけど、なんかまたSさんを見る目がまた変わった気がする。市ヶ谷駅を降りて、改札口で足を止めた。Sさんに会うんだとずっと数日前から緊張していた。一体何を緊張しているのかもわからない。その緊張感をほぐすためでもあるか、今朝出かけたときにもう一度「お会いすることを楽しみにしています」というメールを送った。やはりSさんだけは会うたびに緊張するわ。
 
 少し落ち着いて大人の一面で迎えられるために、約束時間より40分前に市ヶ谷駅に着いて、入り口にあるスタバックスでコーヒーを買ってリラックスしていた。どこかの心理研究を見たことがある。にぎやかな所で座っていて通りすがりの人波を観察することは、心をくつろがせるいい方法の一つであると。俺は駅を行き来する人たちを観察し始めた。うーん、確かに落ち着いた。人波の中にいるときと、二階にあるスタバックスの窓から見るときと、全然違う感じをするよね。窓から見た世界は、なんだか皆余計に忙しくしているように見える。本当はそんなに忙しくしなくてもいいじゃないと言わんばかりに、コーヒーを飲みながらからかっていた。

 携帯が鳴った。Sさんだ。
 俺は慌ててコーヒーのゴミを片付けて出て行った。
道端に泊まっていたタクシーの運転手さんに道を聞いて、東京理科大学に向かって川辺に沿って歩いていった。Sさんは逆方向で向かい側から歩いてきた。ああ!懐かしい顔だ!相変わらず元気だね。信号が赤だったから、俺とSさんは道路を隔てて手を振っていた。長かったな。どれぐらい待ったんだろう。10分?20分?1分しかないのに、なんか一世紀も待った気がする。

 思いっきりハッグした。Sさんとは握手だけで再会したくなかった。ハッグした瞬間はなんか心はとても複雑だった。「先生?」、「友達?」、先生のような友達のような関係だね。昔はハッグしたことなかったのに、社会経験をしてからの再会はなんか素直にハッグできるようになった。なじみを感じているようで感じていないようなハッグだった。でもうれしかった。こんな微妙な気持ちで俺はSさんと友達になったんだ。

 Sさんの事務所でちょっとお茶話をしてからブンイさん(マレーシア人の同期生)と一緒に晩ご飯を食べに行った。


 今回の再会のテーマはなんと、恋愛だった。俺は高校3年生からずっと恋愛していなくて、いつも勉強やいろんな活動に頑張ってきた。

(以下会話は要約したもので、完璧に当時を再現していないよ)

 「Lim君、恋愛したほうがいいよ。若いうちにたくさん恋愛して。30代になったら20歳には戻れないよ」とSさんがずーーーと言ってた気がする。

 「知ってますよ。けど相手がいないんですよ。」

 Sさんによると、本気に好きな子がいなくても、ちょっと気になる子とか、アップローチしてきた子とかでもいいから、チャンスがあれば恋愛してみたほうがいいってこと。

 「だめだよ!本当に好きじゃなかったら、相手と無闇につきあってしまうと相手を傷つけるじゃん!無責任なことをしないでよ」とブンイさんは反発を覚えた。

 そのあとも熱論をしたが、辿り着いた結論は、恋愛は傷つくものだ。人は失敗から学び、次に自分にふさわしい相手がわかってくるのだ。大事なのは、そのときの恋愛。恋愛してみないと何も起こらないよ。もしかしたら本当に相手のことが好きになるかもしてないし。もちろん、つきあい始める前に、ちゃんと自分の立場を相手に伝えるべきだね。気になってるけど試しでつきあってみたいなら、ちゃんとそのことを相手に伝えて、もし「うん」って言われたら、相手も責任をとらなければならないから。傷つくかもしれんけど、本当に幸せにもなるかもしれない。

 一番大事なのは、そのときの恋愛を感じるのだ。何もしないよりも、何かを始めたほうが、いろいろわかってくるんだよね。

 「わかった!俺は恋愛するぞ。」と、Sさんに宣言しちゃった。笑

 確かに何も始まらないよりも、チャンスをつかんで何かを始めてみたほうがいいかもね。次セメこそがんばってみる!!

 Sさんといつの間にこんなトピックを話せるようになった。うれしいなー。やっぱり、俺は友達になったんだ。でも、友達だけじゃない。先生と友達の間だ。「先友」と呼ばせていただこうかw 笑

 次セメどんどん気になる子にアップローチしてみせるぜ Sさんw笑 




日本人、何で?!ー 乾杯編1 「先に飲んじゃったの?!」

序言
来日してそろそろ4年目に入った。
日本の社会でいろんなカルチャーショックを経験し、
いろんな気づきをしてきた。

同じアジアといっても、日本はとても独有な文化と社会的規範を持っている。
しかも、それらを毎日当たり前のように日本人が繰り返して守り続けてきた。
外国人の私から見ると、いつも「何で?!」と思うことがたくさん気づいてきたが、
今まで一度もメモしていなかった。後で思い出そうにも、あやふやなイメージしかなくてとても悔しかった。

なので、日本における生活の中で気づいた「ここが日本人だ!」と思ったことを全部少しずつこのブログに書いて行こうと思っている^^自分がもっと日本社会を理解するための復習にもなるし、読んでいる日本人のあなたに「実はこれは当たり前じゃないよ」と意識してほしい部分もある。日本人として「ここが日本の部分か」と自覚し、これから外国人とのコミュニケーションにおいてこれらを「多分相手にとって当たり前じゃないかも」と意識した上で、コミュニケーションを行ってもらえたらなと思う。

p/s ここで書くことは全て外国人の視点から書いているので、多少「これはなくてもいいじゃない」というような内容が多いかもしれないが、別に悪意を持ってコメントしている訳ではなく、ただ私にとって「それが当たり前じゃないから」と言いたいだけ。本当は日本人の全ての社会マナーがとてもいい意味を持っているから。

さて、まず乾杯編から行こう^^

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乾杯編

ずーーーと前から心の中に不満を持っていた。
それが日本人の乾杯だ。

「あっ!シェン飲んじゃったな!おまえ」と鋭く目線を送りながら、乾杯する前に一口飲み物を飲んだ私を責めてきた。

「いいじゃないか、喉渇いたし、少し飲んだだけ、乾杯する意味は変わらないだろう?」

 このようなシーンは外国人と乾杯するときよくありませんか?司会者が話しているとき、聞いている人はただ聞いて待つだけ。絶対飲み物を飲んじゃだめという経験をされたことありませんか?

 私は「日本人、何で?!」と思うんだ。飲みながら司会者の話を聞いた方が楽じゃない?喉渇いたし、スピーチ長いし、楽な気分で話を聞かせてくれないか?と思うんだよね。

 マレーシアでは、乾杯するということは、何かの勝利、いいことのために飲むという意味をしている。ここは日本と一緒だと思う。けど、日本の乾杯はどうやら「皆で一緒にまだ飲んでない状態から乾杯する」ということにこだわっているようだね。

 マレーシアでは一番大事なのは、「一緒に乾杯する」ということ。「飲み物の状態」ということはあまり気にしない。あなたの飲み物が半分飲んだ状態であろうが、まだ口付けてもいない状態であろうが、大事なのは「乾杯する」ことなんだ。別に「必ず皆飲んでいない状態で一緒に乾杯する」ということにはこだわらない。

 多分日本以外の国も「まだ飲んでいない状態で一緒に飲む」という国があるかもしれないが、マレーシアでは気にしないよね。少なくとも今まで会ってきた東南アジアの人たちもあまり気にしていないような気がする。

シェンの考え:

 日本人が「まだ飲んでいない状態で一緒に飲もう」ということにこだわる理由として考えられるのは、多分「話している人・一緒に待つ人への尊重」と「待った物がおいしい・意味ある」という考え方にあるのではないかと思う。

 確かに司会者が話しているときに、あっちこっち飲み物を味見し始めたら、なんか話を聞いていないように見えるよね。他の人が待っているのに、私だけ飲み始めて、なんか不公平だよね。そういう意味では日本人は他人への配慮・尊重をとても大事にしていると捉えられると思う。

 もう一つの「待った物がおいしい・意味ある」という態度は私個人的にとてもすごいと思う。宗教か社会教育か知らないけど、日本人はどうやら「手に入りにくいものはその意味が大きい」という見方が強いようだね。もちろん他の国の人も同じ価値観だけど、日本の場合はもっと些細なことにもこういった傾向が見られるみたい@@町のレストランとか見たらわかると思うんだけど、何を並んでいるかもわからないのに、列に並んで待ってしまうという日本人が少なくないだろう。やはり「待った飲み物がおいしい」という考え方が強いのでは?まあこれはまた他の気づきに出てくるから、また話そうねw 笑

 ということで、これからもし外国人と乾杯するチャンスがあれば、向こうの乾杯文化も聞いてみたら良いと思う。「そっか、なるほど」という態度で異文化に接することが大事だよね。日本人と違うやり方をされたときに、怒らないで説明してあげてくださいね。^^笑

 では、皆乾杯!(待ちかねただろうw)

p/s ちなみに、マレーシアの中華系の人(私)の乾杯は、「ヤームセーン」(広東語)と発音して、漢字で「飲勝」と書く。皆手を挙げて、長く「ヤーーーーーーム」を続け、最後司会者の合図で「セーーーーン」を言って乾杯するよ^^

Friday, August 17, 2012

東京へ旅ー芸術とぶつかる

快い晴れの日に、俺は一年半ぶりに会っていない、
3年前に東京で日本語学校に通っていた時の韓国人友達ージウンちゃん、に会った。

数日前からメールでやりとりしていて、彼女の通っている大学を案内してもらうことになった。彼女は絵を書くのが上手で、日本語学校卒業後日本でトップの武蔵野美術大学(略称むさび)に入学した。俺が勉強しているビジネス・社会学の大学と違って、美術大学ってなんか聞こえが美しい。そこにきっと俺の知らない別の世界のものがあると確信して、見学させてもらいたいと申し込んだ。

涼しい風が吹く朝だった。一週間東京で暮らしてきて、もうその人波の巨大さになれたと自分を納得させて、ゆっくりと何気なく町を歩こうとした。この混雑の中で少しでも詩人みたいになって、他人と別の世界を見ているようになれればいいなと、一所懸命芸術センスをつけてみようと、自己催眠をしていた。なにしろ、これから芸術と出会うからだな。

無事に約束の場所ー国分寺に着いた。やはり、俺は東京人じゃないんだ。いくら詩人を装おうとしても、俺はその人波に吞まれてしまう。
電車の中で押し合われて、隣に立っていた人たちと体を何度もぶっつかって、電車を降りた時点もう、朝出かけたときに付けたデオドラントの香りが消された。しかもいろんなにおいがついちゃって、まるで花になったようだ。とりあえず、詩人の心でジウンちゃんを迎えるために、心を整えて、近くにある薬局でデオドラントのテスターを使って気分をリフレッシュさせた。

ジウンちゃんが迎えにきてくれた。相変わらず元気だな。
いや、何か変わった。一年半前と比べたら、何か昔になかったものが感じられた。
ま、考えてもわからないから、とりあえずキャンパスに行こう。


むさび周辺に入った瞬間、雰囲気が変わったのに気づいた。
ここには早足で走っているように歩く人がいない。しかめっ面で携帯を打っている人がいない。ここを歩いている人たちの表情になんだか幸せを感じさせる。俺がどんなときにそんな顔をするかというと、APUのウェーブで横になって空を見つめるとき、別府の夜景を眺めるとき、そういう顔ばかりだった。

その理由を掘り下げると、こんな光景が目に入った。
そうだ、キャンパス内どこに行っても、絵を描いている人がいる。
何時間をかけてでもじっとゆっくり、のんびりと絵を描いている。俺は人生の中で一度もやったことないな。こんなゆったりした心も生きていくうえで大事なのかもしれないなと思った。


朝ご飯を食べよう。キャンパスのパン屋さんで唐揚げハンバーガーを入手。スパーうまい!APUにも売ってほしいな。


むさびのキャンパスには展示場、美術館もある。特にむさびは椅子のコレクションが有名らしい。昔の椅子から現代まで椅子が展示されていて、それぞれについて詳しい説明もついている。観光客にも人気らしい。


Climate Changeを題した各国の大学生がデザインしたポスターの展示。
グラフィックデザインは何を勉強するのかという疑問をずっと思っていたんだけど、
これを見たらグラフィックデザインの難しさがわかった。それに、俺みたいなデザインバカも刺激をもらった。今までポスターを見て解釈しようとしたことなかったから、
自分の想像力のなさに驚いた。ここで展示されてるポスターはほんとうに独創的なものばかりで、葉っぱのテクスチャに走っている車とか、傘を逆さまに書いて雨をためるとして「save it , dont waste it」と書くとか。俺もこんなセンスをつけなきゃなと思った。社会学・経営学の大学出身の俺はものの見方あまりにも浅すぎる。枠内に限られすぎて悔しい。
その後も他の美術作品の展示を見てきた。ほんとうに良い刺激だったな。


晩ご飯はジュンちゃんとインド料理食べた。
俺たちはいろんな話をした。そこで気づいたことが多くて二人とも楽しかった。
美術専攻の彼女は社会学の俺と全然違う視点で世界を見ている。
例えば、一つの絵を見るときに、俺は絵に出ている人物はどんな時代背景に置かれているか、何でそんな服装をしているかとかに注目する。それに対して、彼女は何でこの色を使ったのか、何でこんな形で飾られたのかとかを考える。おもしれー
これは一つの問題を考えるときに、さらに差が大きい。
日韓関係の問題について、彼女は両国のリーダーとも互いに譲り合えば良いだけの話なのに、将来こうすればいいじゃんという平和的な考え方で、俺は両国がなかなか譲り合えないのがきっと他にたくさんの理由があるからじゃないという問題の原因を探求する現実的な考え方。物事の見方は多角であることを改めて実感したな。

ジウンちゃんと前回会ったときよりも、話すことが多くなった。それはなぜかというと、一年半経って、俺たちは自分のやりたいこと、目標を見つけたからだ。彼女は自分の本を書きたいという目標があって、俺は自分の映画を作りたい。

ここでこの前に韓国人の友達から聞いた話を思い出した。
ハバード大学は学生の新入生から卒業十年後どんな成功を成し遂げるかについて調査した。その結果、100%の中で70%の学生が普通の会社員で生活を送っていて、30%の人が各業界で偉い人になった。30%の中でさらに3%の人がSteve Jobみたいな世界を変える人になった。
そこで何が違うかというと、その70%の学生は学生時代に、目標を立てず、ただ勉強するために勉強したという。卒業後良い会社入れればいいと、やりながら考えるタイプ
30%の学生は自分のやりたいことが決まっていた。例えば、本を書きたい、学校を作りたいとか。
3%の学生はさらにでかい夢を持っていた。世界のITを変えるとか。

ここでいう目標・夢というのは決して言うだけじゃなくて、本当にやりたい・自分ならできると感じていなければ意味ないから。

これを二人で共有し合って、俺たちはその30%の学生になろうと決意した。
必ずやりたいことを自分はできると思えるように頑張る。口だけじゃなくて、実践に落とすんだ。

ジウンちゃんとの話し合いで、本当に自信がついた。これからの道は一人じゃないんだ。
彼女も一緒に戦ってくれるからと、気持ちいえないが、なんだか感じた。
これからの再会本当に楽しみにしている。会うたびに二人とも変わっているだろう。

ジウンちゃんがんばろう!^^

東京へ旅ー公文

十日間東京の旅を終えてきた
別府〜ただいま^^

今回の旅、いろんなこと起こった気がする。

公文最終報告会:

まず公文の最終報告会が半端なかった。出発まで徹夜の毎日を送っていたにもかかわらず、発表の前日までぎりぎりPPTを仕上げて、しかも夜中に意見の食い違いなどで泣いたりする人もいた。
あの夜はとても複雑だったな。でもよかった。心の中にたまっていた苛立ちを全部さらけ出して、すっきりしただろう。俺たちはチームワーク力がないという?俺にとって、これができること自体、既にチームワーク力の証拠なんだ。

このチームは皆個性的だ。本当にそう思う。
個性的なのに、共通するものがあった。それは和を保つことに気にしすぎることだった。
リーダーは大変だっただろう。常に和を保つことを考えて行動しなければならなかった。最後の最後にようやく我慢できず、リーダーがだめだしの暴走にいたった。リーダーの本音の暴走は確かにメンバーの何人かに傷づけたかもしれない。正直に俺も嫌われた所を言われたとき、なんだこいつと思っていた。リーダーだって嫌われる所もあるはずなのに、なにえらそうに人の欠点を言ってんの、と心の中に言われた瞬間思っていた。けど、本当に言われた通りに自分が悪かった。自分が悪かったといっても、悪かったのは自分の行動のことを指す、自分そのものが悪いなんて誰にもないはずだ。それを皆わかっていてその場で反省していただろう。

戦いの寸前にいきなりこのような気まずい雰囲気になっちゃって、誰でもやばいと思うだろう。しかし、ここで皆の悪い行動を言われたら、寧ろ反省の意を起こして、逆に次のステップに進めたと思う。

リーダーと優子は心が強かった。普段何も感じていないふりを見せているリーダーが発表の最後まで我慢して泣いた姿と、あの夜皆の前に自分のだめなとこを突っ込まれて、号泣してまた笑顔で部屋に戻って皆に素直に謝れた優子の姿も、とても印象強く俺の心に焼き付いた。振り返り会にこの4ヶ月間を通して自分の成長どころか、自分の他人に劣るとこをたくさん見つけたと涙ながら言ったともみの心の深さにも感心した。それにホテルの部屋で自分を変えたい、強くなりたいと強く願って俺の前に涙を流したなおやの悔しい心に感動した。

俺はこのチームの皆が大嫌いだった。でも皆の心に触れてから、大好きになった。
そうさ、こうでなくちゃ。皆本当にすばらしかった。強くなりたい気持ちは何よりも自分をもっと高く上げていくんだ。俺は心より将来の皆を楽しみにしている。
皆きっとすばらしい人になっていくと信じている。初めて他人の成長を楽しみに思った。

これって、公文教室が俺に教えてくれた一番の成長かもね。
他人の成長を楽しみに思える、心より信じられるようになった俺。

皆ありがとう^^